戦後73年に寄せて
昨日の8月15日正午、戦没者追悼式が行われました。
多くの報道では「終戦記念日」となっていますが、私は「敗戦記念日」と認識しています。
戦後73年という月日が過ぎ、私自身も今年で50歳になったことを考えると、私が生まれる23年前まで戦争があった事が信じられないぐらい復興が進んだと思います。
今を生きる我々にとって、「平和」が当たり前に感じているかもしれませんが、インターネットやテレビで見る第二次世界大戦中の映像は、ある意味でそれほど遠くない過去だったのかもしれません。
私の父は昭和10年に東京都大田区、母は昭和11年に兵庫県神戸市で生まれでした。幸いにも親戚関係では戦争に兵隊として駆り出されることはありませんでしたが、厳しい生活を強いられてきた経験は、小さい頃から話を聞いていました。疎開先の岡山県津山市で津山基督教図書館高校時代に出会ったと聞いていますが、戦争がなければお互いに出会うこともなかったことを考えると、自分が存在する必然性は、そこにあったのだと改めて感じます。
今日、私達が日々の生活を営む根底には、過去の戦争の歴史と経験を踏まえた「日本国憲法」によって成り立っています。特に憲法前文には「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と記されています。憲法に「戦争の惨禍」という負の言葉を盛り込むことによって、戦争がもたらした一人ひとりの市民の痛みと悲しみ、損失がいかに大きく、いかなる理由があろうとも戦争を二度と繰り返してはならないという強い想いが込められています。これは単に戦争が終わったという事ではなく、敗戦という経験と意義を踏まえて、今の「国民主権」「基本的人権の尊重」そして「平和主義」をいう三原則に基づいた憲法が制定されている事を、改めて認識すべきではないかと思っています。
昨今、国政では憲法改正の問題が取り上げられています。
憲法の認識が単に法律の上部に当たる最高法規と捉えている人もいます。
知っている人も多数いると思いますが、「日本国憲法」とは何か。
それは、国民の主権を保障するために国家権力を制限するものであり、国民を拘束するものではないのが憲法なのです。
先の大戦で犠牲となり亡くなられたお一人おひとりの御霊に心からご冥福をお祈りすると共に、大変な経験と苦労を担い「まだ戦争は終わっていない」と感じている方々の気持ちに寄り添いつつ、一地方議員としてこれからも誰も見捨てない社会を目指して参ります。